『モラル・トライブズ』2019-03-21

おでかけの時間ですが、遊んでほしいと言ってます

おでかけの時間ですが、遊んでほしいと言ってます


『モラル・トライブズ』 ジョシュア・グリーン (竹田 円 訳 岩波書店)


3月17日

ああ、そういや、やっと『モラル・トライブズ』を読んでます。こんなに内容あっても読みやすいのね。早く掘り出せば良かった。


3月21日

pp.370-374
うーん、ロールズなんか富と効用を同一視しているから、功利主義が全体効用を最大化するために奴隷制のような不平等を是認するかのように攻撃してきて迷惑千万とイキってるように見える。


3月21日

でも、グリーン自身が、充分な富を持つ者は富が増えても幸福はさして増えない限界「幸福」の逓減を主張しているように、自分が効用と幸福を過度に同一視してんじゃないか?


3月21日

つまり、一方では定量化が難しいと言う「幸福」を、一方で「量として足しあわせて最大になればいいなら反道徳的な社会も認めるから功利主義はだめだ」と言われると、


3月21日

「人間の本性」によって極端な他者の抑圧によって失われる「幸福」の量は抑圧者が得る「幸福」の量を必ず上回るから現実に功利主義が極端な抑圧社会を認めることはない、と答えている、ように見える。


3月21日

いや、現実路線の功利主義には思想上、何の不満もないんですけど、量なのか質なのかいろいろ書いてきてもやっぱり曖昧なのは私が勘違いしてるからか。
そのうちアマルティア・セン先生のケイパビィリティ・アプローチが出るかなあと思ってたけど、ここまできても出ないのは多分認めてないからかなあ。


3月21日

最終部でグリーン先生に怒られそう。


3月23日

けっきょく、幸福は厳密に測らなくても社会で最大化されるかどうかはわかる、というケイパビィリティ・アプローチもない説明に終始。うーん、いや、「深遠」かどうかはおいておいても、タイプ2(グリーン先生言うところのマニュアルモード)を働かせた実用主義で、原理主義的な善ではなく可能な最善を


3月23日

目指そうというのはまったくその通りだと思いますし、道徳の進化論的にはタイプ1(グリーン言うところのオートモード)が為さしめることを善としたのであってその逆ではない、というのも納得できるのですが、最終的に、だからなに? という感想しか残らないのが唯一残念なところであります。


3月23日

いや、いい本なのは間違いないけど、これが届くべきところにはぜったいに届かないだろうな、と思うわけです。まあ、哲学書だから実用主義でも実用的である必要はないわけですが。いや、とてもいい本です。本当に。


3月23日

あ、『モラル・トライブズ』ジョシュア・グリーン 読了。(検索の都合上の読了ツイートでした)


3月23日

ケイパビィリティ・アプローチに私がこだわるのは、幸福のような曖昧なものではなく、あくまでどんな政策(選択)がどんな効用を得る自由が潜在的に実現されるかを推し量って組み合わせの最善を検討しようとするアプローチなので、このマニュアルモードには相性がいいのではないかと思っていたのです。




『モラル・トライブズ』 ジョシュア・グリーン (竹田 円 訳 岩波書店)