『責任という原理』ハンス・ヨナス2014-04-05


『責任という原理』ハンス・ヨナス(加藤尚武 訳 東信堂)


1月20日

「自然科学のさまざまな前提からは、もともと意識について、それどころか感情のもっとも基礎的な事例(…)についてすら、計算結果を出すことはできない。この自然科学の不能力は、将来的に改善できる性質のものではなく、本質的である」(ハンス・ヨナス「責任という原理」p.154)


1月20日

1979年時点ではこの程度が限界だったかなあ。この先は流し読みかも。


2月11日

ヨナスの「責任の原理」をチビチビ読んでいるのだが、情報量と処理速度とアルゴリズムのブレイクスルーが「know」まで進んだら、未来への責任はどうなるのだろう、などと、14歳の3倍強のおっさんにも影響を残しているので、もしかしたら傑作だったのか。


3月25日

(「責任の原理」ヨナス、あと60ページほどじゃが、最終章だけ読めば十分な気がする。こんなもんのどこが厳密な思考なんじゃ。予断の連発じゃ。あ、成長なき平等な世界が好きな人は教養として読むといいかもね)


3月27日

つか、ヨナスに前川恒雄の爪の垢を煎じて飲ませたい。


4月5日

「責任という原理」ハンス・ヨナス 読了。もう最後はニコ生で電王戦観ながら流し読み。「自然はもう人間の手で破壊できるんだから護らないとね。でも未来にとって何が最善かなんて今からはわからないんだから、なるべく危なくない方を選ぼうよ。ね♡」って言えばいーじゃん。


4月5日

これが出た1979年は、アマルティア・センの「集合的選択と社会的厚生」の年でもある。ヨナスのような知性の無駄遣いをやめてくれれば少しは倫理学もまともな学問になっただろうに。




『責任という原理』ハンス・ヨナス(加藤尚武 訳 東信堂)

『中小都市における公共図書館の運営』2014-04-05

今日のファイト

今日のファイト


『中小都市における公共図書館の運営』中小公共図書館運営基準委員会報告(日本図書館協会)


3月27日

「中小リポート」の序論を読んだ。官への報告書が皆こんなにパトス溢れる文章でなおかつ過不足なく論理的に書かれるようになれば、日本もちょっとはよくなるのに。


3月30日

「中小都市における公共図書館の運営(1963)」日本図書館協会 読了。通称「中小リポート」。これを読まずに図書館を擁護or誹謗しても説得力ないということがよくわかりました。うちの社長にも読ませたい(IT関係ですが)。


4月5日

「『中小都市における公共図書館図書館の運営』の成立とその時代」 オーラルヒストリー研究会編 日本図書館協会 読了。いや、あなた、30年も前のこと訊かれて思い出せますか? って読んだら大筋で話が合っていて(曖昧なところは全員よく覚えていないところも含めて)濃密な時間を想像して震撼。


4月5日

感想は置いておいて、黒田一之氏の言葉。「ここに書いてあることをもっとどんどん否定して、今の時世の中でもうひとつ次のやつが出来てくるってことであればね。ただその根底の中で、現状を改革するという気持ちが、ちゃんと受け継がれていって欲しいと思いますね。」


4月5日

(注)「今の時世」とは、1994年、今からもう20年も前のことです。この20年で何が起こったのか、今後の個人的な課題として、ここで一旦、図書館シリーズはおしまい。というか「本の雑誌」があんな特集を組んだのを読んで、脱力したのが本当かも。




『中小都市における公共図書館の運営』中小公共図書館運営基準委員会報告(日本図書館協会)

『金を払うから素手で殴らせてくれないか』木下古栗2014-04-07

私も木下古栗さんへ、イラストで好きを伝えてみました

私も木下古栗さんへ、イラストで好きを伝えてみました


『金を払うから素手で殴らせてくれないか』木下古栗(講談社)


2月6日

【速報】古栗のゲラがキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


2月6日

あと5分で風呂に入らないと「古栗を朗読してやる」と家人が脅す。


2月7日

や、やめて、古栗の朗読、腹が、寝られなくなる…。


2月10日

キャッチコピーに「茂木健一郎氏、非公認!」というのも考えてますw RT @atomos_atomos 脳科学そっちのけで迷走しまくってる茂木健一郎氏に古栗新刊を読ませたい!


2月12日

あ、古栗のアレ、書かなきゃ!


2月12日

まち子は感想を書く。「呼吸困難で背中が攣ったわ」


2月14日

(古栗の例のものを書いたが、一晩寝かせて明日送る)


4月7日

「金を払うから素手で殴らせてくれないか?」木下古栗 読了。モニターでボツになった感想文。

最近の脳神経科学や認知心理学の飛躍的な進歩とともに、人間の記憶や推測、予測、情動などの聖域が、神経のサーキット回路のネットワークに流れる電気信号ですべて説明できる寸前までやってきています。


4月7日

そして、多くの名だたる文学者たちが、最新の科学的決定論的人間論の上に、自由意志と物語を再構築するためにあえぎ、叫び、血を流して作品を世に問うています。


4月7日

そんな昨今、木下古栗は、読者の脳神経の電気的なサーキットをロータスの狼のように荒々しく車線変更しながら、まち子を駆け回らせてまったく新しい神経ネットワークを作るという離れ業を演じているのです。


4月7日

まち子が電車でいきなり立ち上がりドログバを張り倒す光景を読者は否応なくまざまざと見てしまいます。それは新たな自由意志なのか? 9.11以後の、3.11以後の、3.14以後の終わりなき円周の物語なのか? 金を払うから教えてくれないか?


2015年1月31日

『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』 木下古栗(講談社)木下古栗は、読者の脳神経の電気的なサーキットをロータスの狼のように荒々しく車線変更しながら、まち子を駆け回らせてまったく新しい神経ネットワークを作るという離れ業を演じている。 #jtb5




『金を払うから素手で殴らせてくれないか』木下古栗(講談社)

『対岸』フリオ・コルタサル2014-04-08

あそんでにゃ

あそんでにゃ


『対岸』フリオ・コルタサル(寺尾隆吉 訳 水声社)


4月8日

「対岸」フリオ・コルタサル 読了。最初期の短編集だからって「若書き」の一言でなにか言った気になる書評家に永遠の呪いあれ。(「天文学序説」は脇に置いておいて)「山椒魚」や「悪魔の涎」などと遜色ないくらいの緊張感で「日常が崩れていく」短編群ですので。




『開店休業』吉本隆明・ハルノ宵子2014-04-11


『開店休業』吉本隆明・ハルノ宵子(プレジテント社)


4月11日

「開店休業」吉本隆明・ハルノ宵子 読了。涙目で笑う。吉本隆明の詩も思想も好きではないが、この老人を嫌えるひとはいなさそうだ。追うように老いていくようで宵子さんがすこし心配。ぼくの最後の晩餐は辛い塩鮭と筋子とご飯にしたい。


4月11日

ハルノ宵子×糸井重里な。お母ちゃんが最高だ。フランシス子ちゃんの写真はないかの。 RT @yodamina @march_hare_bro これが対談な。 http://www.1101.com/harunoyoiko/203-05-09.html…


4月13日

風間賢二先生のツイートから、若い衆がなにも知らん、という話になっているが、吉本隆明の「開店休業」にもあるように、残る文化は貧しさに耐えるものだけなのではないか。バブル文化は残らなくて当然かもね。


4月11日

この猫さんか、吉本隆明の愛人は。 http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/touh/20130514/p3…   




『開店休業』吉本隆明・ハルノ宵子(プレジテント社)

『背信の日々』フィリップ・ロス2014-04-27

今日の自堕落

今日の自堕落


『背信の日々』フィリップ・ロス(宮本陽吉 訳 集英社)


4月24日

ロスの「背信の日々」を読んで100ページあまり、六日間戦争後10年のイスラエル訪問から加速度がついたように気違いじみた展開に急転直下で凄まじいことになっておるのです。ネーサン・ザッカーマン、一世一代の危機。


4月27日

「背信の日々」フィリップ・ロス 読了。おれは昔からポストモダンだった、と人格の複数性・被造性・性性でネーサン(ヘンリー)・ザッカーマンが変わる有様をテクニカルに書いてみせた。喩えとして、私小説以外の武器を持たないパワーズ、または、ほぼ同時に書かれた「夢の木坂分岐点」ユダヤ版。


4月29日

フィリップ・ロスは、過去に囚われているユダヤ人という見方を徹底的に貶める。ユダヤ人自身もユダヤ人以外も、もちろん自分自身の分身たちも。


2019年1月2日

邦訳されたなかでロスの最高傑作は『背信の日々』。90年代以降で『American Pastoral』も訳されてないのはいかがなものか。




『背信の日々』フィリップ・ロス(宮本陽吉 訳 集英社)

『もう一度』トム・マッカーシー2014-04-29

ゴブさんの足

ゴブさんのあし


『もう一度』トム・マッカーシー(栩木玲子 訳 新潮社)


4月28日

「もう一度」トム・マッカーシー、あっという間に半分越えたが、ツルツルとひっかかるところがなくて拍子抜け。この主人公以外、なんかどうでもいいのばっかりで。ものすごくダメにした「人生 使用法」みたいな。(最後まで読みますけど)


4月29日

「もう一度」トム・マッカーシー 読了。はい、作者の企みにまんまとやられましたw 前半で、よくある記憶=自分探し? サブキャラの存在感の無さはなに?、と思っていると、後半の突き抜けた展開に腰がぬけるのですよ。「野獣死すべし」の松田優作に演じてほしい。




『もう一度』トム・マッカーシー(栩木玲子 訳 新潮社)