『ピダハン』D・L・エヴェレット ― 2013-01-18
『ピダハン』D・L・エヴェレット(屋代通子 訳 みすず書房)
1月12日
売れているということなので、失礼して図書館から借りてきた「ピダハン」をささっと読みます。
1月12日
借りた本「ピダハン」エヴェレット、「俺俺」星野智幸 、「人魚はア・カペラで歌ふ」丸谷才一、「ワトスンの選択」グラディス・ミッチェル
1月13日
「ピダハン」はいきなり妻子がマラリアで倒れて医者を求めて大変なことに。
1月14日
(いったいいつになったら「ピダハン」語の分析が始まりますか。飽きてきた。ふつうのいわゆる未開人との文化的接触じゃし)
1月16日
(「ピダハン」300ページまで来たけど、なんでこんなに「おれ チョムスキー 超えた」「ピダハン 生成文法 ない」とか叫んでるのかよく分からない)
1月17日
「ピダハン」もうすぐ終わるのだが、いまだになんでここまで「おれ チョムスキー 超えた」「ピダハン 生成文法 ない」と言い続けるのかさっぱりわからん。リカージョンが無いと無限に言い続けているのはリカージョンのパロディーですか?
1月17日
言語編の前の文化人類学ピダハンは、その倫理観の特殊さが舞城王太郎のようで、いま思えば面白かった、比較的。
1月17日
(けっきょく、なんか胡散臭いな〜ということを確認するための読書は健康によくない)
1月18日
「フィールド調査によって集めた言語資料を吟味して分類し、次にその言語に見られる要素(つまり単語や語句、文、文章のことだが、それらにどういう名前をつけるかは、その言語を論じるのに都合がいいように当のフィールド研究者が考えればいい)を抜き出し…」「ピダハン」p.353
1月18日
え? そんな恣意的なものなの? とか、もうあちこちでひっかかって。
1月18日
「…その言語に見られる要素(つまり単語や語句、文、文章のことだが、それらにどういう名前をつけるかは、その言語を論じるのに都合がいいように当のフィールド研究者が考えればいい)…」こんなこというひとに「リカージョンが無い」とか言われても、都合よく考えたんでしょ?って思うわよね。
1月18日
(俺もいい加減しつこいな)
1月18日
「ピダハン」 エヴェレット読了。Webのみんながものすごい勢いで感銘を受けていてうんざりしていたら、ここを見つけた。 http://t.co/Y2G69vmQ って、いつもお世話になっております。
1月18日
p.285から出てくる、エクソテリック(普遍的な)に対するエソテリック・コミュニケーションってので解釈するのが筋でないのかなあ。エヴェレット自身の宗教のような「直接体験の原則」よりも、内輪で閉じると言語がどう簡略化するのかの方に興味があるのだけど。
1月18日
LINEだけでコミュニケーションするように閉じ込められた女子中高生の言語からリカージョンはなくなりそうだなあ。
2月9日
わしとしてはエヴェレット「ピダハン」は、イグノーベル賞。
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